サラフィー主義とは18世紀にエジプトを中心とした地域で始まった復古主義運動のこと。イスラム教を創始した預言者ムハンマド没後三世代までを“サラフ”というが、サラフィー主義者は、サラフの時代すなわち初期イスラム時代に回帰することを求める人々。

サラフィー主義の中でもワッハーブ派は、その思想がISIL(イスラミック・ステート)を理解っする上で重要であることから、現在世界的に注目されている存在です。
イスラム教の“純化”を求めるワッハーブ派は、18世紀半ばにムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ (Muhammad ibn Abd al-Wahhab)によって創立されました。

ワッハーブは、1703年にナジュド (Najd)にあるウヤイナ村 (‘Uyayna)に生まれました。
なお現在のサウジアラビアの首都リヤドはこの地域に位置します。
彼は、イスラム法学・神学を学んだのち、ナジュドをはじめとしたアラビア半島でイスラム教の“純化”活動を積極的に始めます。

当時サウジアラビア半島では、イスラム教聖者を祀る風習がありましたが、ワッハーブは聖者信仰、イスラム神秘主義などを禁じました。
そのため彼は“純化”活動と称して地元民の生活に根付くモスク、聖者廟、聖なる木などを破壊していきました。彼の“純化”活動はナジュド地域の外にまで影響を及ぼし出します。

ワッハーブはやがて、ムハンマド・イブン・サウードと同盟を結びます。
二人はワッハーブ派によるイスラム教“純化”活動の普及のため、1744年に「第一次サウード王国」を樹立します。これは現在のサウジアラビア王国の始まりです。

第一次サウード王国は、支配地域をナジュドから徐々に広げ、ワッハーブ派が最も不純とするイスラム教一派であるシーア派の聖地を破壊、さらにはシーア派を殺害していきます。
彼らの勢力は勢いを増し、ついにはイスラム教の二大聖地であるメッカメディナを征服しました。このことで第一次サウード王国は、シーア派にとどまらずあらゆるイスラム教宗派の反感を持たれることになりました。

当時、メッカとメディナを統括していたオスマン帝国は直ちに第一次サウード王国に対する攻撃を開始。1818年に第一次サウード王国は滅びます。
しかし、ワッハーブ派支持者及びサウード一族は後に第二次サウード王国を経て、現在のワッハーブ主義の教えに基づくサウジアラビア王国を再建するのです。