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アルバムHabib Galbi
Photo: Hassan Hajjaj

2016年6月に発売されたデビューアルバム「Habib Ghalbi」(ハビーブ・ガルビ)は発売まもなく、アラビア語で歌われたアルバムとして初めてイスラエルで売り上げ1位を記録しました。

しかし、イスラエルといえば、パレスチナをはじめとしたアラブ諸国との関係があまり良好ではないことで知られています。

なぜ?アラビア語で歌うA-Waがイスラエルでヒットしたのでしょうか?
さらにイスラエルやアラブを超えて、世界で注目を集めているA-Waの秘密に迫ります!

祖先はイエメン・ユダヤ人

2015年現在、世界の70%のユダヤ教徒はイスラエルで暮らしていると言われています。
しかし、かつては世界中にユダヤ教徒の人々が暮らしていました。アラブ諸国にも!
そして世界中で暮らすユダヤ教徒は、各地で独自の文化を発展していきました。

A-Wa三姉妹の先祖は、かつてイエメンで暮らしていたユダヤ教徒でした。

中東アラビア半島に位置する国、イエメン。
人口90%以上が、イスラム教とのアラブ人と言われています。

イスラム教が多数派のイエメンで古くから暮らしていたユダヤの人々。
彼らがなぜイエメンで暮らすことになったかについては、諸説あります。

  • ソロモンの時代(紀元前971年 – 紀元前931年)にエルサレム神殿の内装を行う職人を探すためにユダヤ人をアラビア半島に派遣したのがはじまり
  • ソロモン王の元を訪れたシバ王国の支配者シバ女王の要望で、ユダヤ人が連れてこられた。なおシバ王国がどこの地域を指すのか諸説ありますが、現在のイエメンあたりであったという一説に基づいます。

イエメン・ユダヤ人の起源には他にも諸説あります。
彼らは主に装飾品の職人やコーヒー豆の商人として働いていました。

ユダヤ イエメン コーヒー

こちらはユダヤ人の人口が最も多かったとされるサナア(イエメンの首都)で撮られたコーヒー豆を挽くユダヤ人の少年 Jewish youth grinding coffee on millstone, Sana’a (Yemen) 1934

1949年6月から1950年9月までにイスラエル政府によって行われたマジック・カーペット作戦によってイエメンで暮らす49,000名あまりのユダヤ人は、1948年に建国されたイスラエルに移住しました。

伝統をポップに塗り替える

A-Waの祖父母はマジック・カーペット作戦でイエメンのサナアからイスラエルに移り住みました。彼女たちの曲は、幼い頃に祖母から教わったイエメン・ユダヤの伝統的な歌から着想を得ています。

デビューアルバムのタイトルにもなっている「Habib Ghalbi」(ハビーブ・ガルビ)は、
1980年代に活躍したイエメン・ユダヤ人のシンガーソングライターShlomo Moga’aの代表作のアレンジです。

 

世界的ヒットしたイエメン・ユダヤ人歌手は過去にもいた!

2005年にリリースされたマドンナのアルバム「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」からの一曲「アイザック」で男性が歌っている曲は、17世紀のイエメン・ユダヤ人による詩「Im Nin’alu」なのです。

17世紀にイエメンで暮らしたユダヤの詩人Shalom Shabaziの詩「Im Nin’alu」は1980年代にイスラエルで活躍したイエメン・ユダヤ人歌手オフラ・ハザによって歌われ大ヒットしました。

こちらがオフラ・ハザによる「Im Nin’alu」


いつ、なぜ、イエメンでアラブ文化に揉まれながら暮らすことになったのか未だにわからないイエメン・ユダヤ人の奥深い伝統はイスラエルやアラブ世界を飛び出して、世界中に影響を与えています。

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Photo: Hassan Hajjaj