2016年にオープンした、パレスチナ初の現代アート美術館「パレスティニアン・ミュージアム」 オープン以来、数々の小さなサテライト企画展を経て、2017年8月27日に初の大規模企画展『Jerusalem Lives』がスタートしました。

Photo by Natalie Al-Masri

Photo by Natalie Al-Masri

パレスティニアン・ミュージアム

パレスティニアン・ミュージアムは、2016年にNPO法人タアーウォン(TAAWON)の事業の一つとして始まりました。

NPO法人タアーウォン(TAAWON)は、1983年、当時イギリスに移り住んでいたパレスチナ人*ら数名が集まり、いまだに外への門が閉ざされた限られた土地での暮らしを余儀なく強いられているパレスチナ人のために何か出来ないかと考えた末に、設立したパレスチナ人によるパレスチナ人のために誕生しました。 美術館は、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区中部に位置する都市ラマッラーから北に7km、エルサレムからは25km離れた所に位置しています。 最初は、美術館をエルサレムで建てることを目標としていました。 ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の聖地であるエルサレムは、それだけでも対立の原因となっている上に、イスラエルとパレスチナ間の首都問題をはらんでいる土地でもあるのです。 中東戦争を期にイスラエルが建国されて以来、エルサレムはユダヤ人が住む西エルサレムとアラブ人居住区である東エルサレムに分断しました。さらに、イスラエルとパレスチナ両者が、エルサレムを首都と主張しているのです。 パレスティニアン・ミュージアムは、エルサレムに美術館を設立することをまだ諦めていなく、いつか、エルサレムでの美術館建設を目標に活動しています。

 

*中東戦争(1948 – 1967)でイスラエルがこの地で誕生した一方で多くのパレスチナ人が難民として、それまで暮らしていた土地を去りました。

『Jerusalem Lives』展

パレスティニアン・ミュージアムが、2016年にオープンしてから1年後に開催した初の大型展覧会のテーマとして“エルサレム”を選びました。 18名のパレスチナ、アラブそして世界中の作家が参加している本展覧会は、イスラエルによるエルサレムの占領がいかにパレスチナ人の生活を変えてきたか、“エルサレムで生きること”に焦点を当てています。さらにはイスラエルによるこの地の占領から見えてくるグローバリゼーション、植民地政策、領土拡張主義の行方を追います。

EMILY JACIR

『Jerusalem Lives』展は、美術館の駐車場に設置されたスピーカーから響く「ラマッラー、ラマッラー、ラマッラー」という叫び声で始まりました。 本作品は、2008年にエルサレム旧市街のダマスカス門で行われたパレスチナ出身のアーティスト、エミリ・ジャシル(Emily Jacir)によるインスタレーションです。 この一帯をいくつもの居住区に分断する分離壁が作られるまで、タクシー運転手は自由に乗客を目的地へと乗せて行くことができました。今となっては検問所での長い拘束を耐えなければならないのです。 ジャシルは、タクシー運転手に、かつてエルサレムから自由に往来できたラマッラー(パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区中部に位置する都市)を、当時のことを思い描きながら客に呼びかけるように叫んでもらいました。 ヨルダン川西岸地区で暮らす多くのパレスチナ人は、その中心部ラマッラーから14kmしか離れていないエルサレムに行く許可をイスラエルから取得することができずにいるのです。 ヨルダン川西岸地区で暮らす『Jerusalem Lives』展担当キュレーターReem Faddaも、エルサレムを訪れたことがないのです。 駐車場に響く声は、日常の往来が難しくなってから長い年月が経ち、その間、パレスチナ人の暮らしが刻々と変わってきていることを想像させます。 Israel-06505 - Two Mosques

RAIN WU, ERIC CHEN

台湾出身のアーティストRain WuとEric Chenによる作品『Threshold of Being』。

存在の境目/敷居、と訳すことのできるこの作品は、パレスチナとイスラエル、さらにはグローバル化した社会の物理的そして心理的なつながりと分断がテーマです。
rain wu

MOHAMMED KAZEM

2013年ヴェネチア・ビエンナーレにUAE代表であり、「アラブ・エクスプレス展」(森美術館、2012年)の参加作家であるムハンマド・カーゼム(Mohammed Kazem)のシリーズ作品『Directions (Border)』(1999-ongoing) 本展覧会に合わせて、カーゼムは、彼自身が訪れることのできないー入国が禁止されているー国や地域であるエルサレム、ベイルート、ダマスカスの座標を美術館の窓ガラスに並べました。

directions 外から差し込む太陽の光に照らされた座標は、見る者のボーダーを超えてそこに行きたい欲求を掻き立てます。

NIDA SINNOKROT

アルジェリア育ちのパレスチナ系アメリカ人Nida Sinnokrotのショベルカーが逆さになった作品『Ka (Oslo)』 Ka(oslo) このショベルカーは、オスロ合意*以降、パレスチナ自治区で建物の建築そしてさらに崩壊に使われたものです。 パレスチナの建築と崩壊を余儀なく繰り返させられたショベルカーは、逆さにさせられショベルカーとしてのパワーを失ったいま、天に向かって嘆き、そして祈っているかのようです。 さらにタイトルである”Ka”は、エジプトの象形文字で生命力を意味します。生命力は創造力でもあり、時には力強い破壊力でもあります。 創造と破壊、私たちの生命力は今後どちらに向かって行くのでしょうか。

上にあげられた両腕が'Ka'の象徴

上にあげられた両腕が’Ka’の象徴

*オスロ合意は、オスロ(ノルウェー)で交わされたイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の平和合意。この時、イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に合意した。