中東地域で暮らす人々にとって砂漠、乾燥地帯そして干ばつはいつも日常生活の中に組み込まれていました。都市化が進んだ今でも干ばつや数年に一度襲われる大量の雨による水害から逃れることはできません。

彼らにとって砂漠は決してロマンティズムで片付けられる存在ではありませんでした。
そこには「生きるため」の長い歴史で培われてきた教訓が眠っているのです。

イラン映画「こんなに近く、こんなに遠く」では砂漠の真ん中で放置された男性が砂漠の砂に押しつぶされ、死を目前にした時に初めて「生」を思い知る心情が描かれています。映画「バーバ・アジーズ」では盲目の老人と孫娘が砂漠のはてで開催されるイスラム神秘主義者の祭典を目指して旅をする物語から、生と死、砂漠に回帰する生命の尊さが描かれています。

中東地域出身者の作家にとって砂漠は欠かせないテーマの一つです。
今回は、砂漠を描いたアート作品の中でも絵画に絞って見ていきます。


中東地域にルーツのある作家にとって砂漠はとても身近で大切な存在ですが、意外にもこの地域の美術史で砂漠が登場するのは、前衛運動がきっかけでした。砂漠を描いたパイオニアたちの話をする前に、まずは中東地域のアカデミック美術がどのようにして始まったかお話しする必要があります。

ヨーロッパで美術を学んで自国に戻ってきた画家の多くはヨーロッパで見てきた作品を参考に“西洋的”なモチーフを描く事にとどまっていました。学んできた技法を用いて中東らしさを描くことはなかったのです。しかし1940年代になるとイラク、イラン、エジプトなどで原点を見つめ直そうという動きが盛んになります。彼らはしばし“原点へ帰る”、”伝統回帰”を運動の基盤とし、砂漠や遊牧民の伝統的な技法や素材を作品に取り入れました。

Enji Efflatoun(Egypt, 1924-1989)は1940年代にこの地域でいち早くアカデミック美術に対抗し前衛運動を発足させた画家の一人です。女性の正当な権利を求めて活動をしていたアクティビストでもあった彼女は、作品に近代化の波で政府に見落とされ時には虐げられていた農民や遊牧民の姿を登場させました。

Enji Efflatoun Cotton Harvest, 1984
Courtesy of Al Mansouria Foundation
Enji Efflatoun L’OR BLANC (WHITE GOLD), 1963

Adel El-Siwi (Egypt, 1952)が描く肖像画は、古代エジプトの美女として知られているネフェルティティを連想させるシルエット、砂漠を連想させるシンプルな色彩です。それはエジプトが広大なアフリカ大陸で約3000年にわたって独自の豊かな文明を築いていたことを思い出させます。

Adel El-Siwi The Others, 2012  

エジプトは16世紀にオスマン帝国(1517-1805)の支配下におかれて以来、1952年までのとても長い間、直接的もしくは間接的に他国による支配体制下にありました。エジプト革命(1952年)を機にやっとエジプトの政治はエジプト人自身によって握られることになりました。1940年代から60年代にかけてエジプトのアーティストたちがそれまで光が当てられてこなかった地域の人々の姿を描いたことは、エジプトのナショナルアイデンティティの再構築、そして独立への道に少なからず貢献していたように考えられます。


モロッコ出身のFarid Belkahia(Morocco, 1934-2014)は1970年代になるとキャンヴァスなど西洋絵画で主流の素材の代わりにモロッコ独自のものを使うようになりました。銅やベルベル人の間で主流だったなめし方法で作られた子羊の革の上に、ヘナをはじめとしたモロッコで伝統的に使われてきた天然染料を用いたのです。またモロッコで伝統的に使われてきた文様や壁画からインスパイアを受けました。その中でも特徴的であるのが、ベルベル語を表記するために使われていたティフィナグ文字を彼はしばし作品のモチーフとして用いました。彼のこのような伝統回帰の動きは、1956年にモロッコがフランスから独立したことと深い関わりがあると考えられています。現地の人々の暮らしにスポットライトを当てることで、長い間西洋文化の影響下にあったモロッコの伝統を見直すきっかけとなりました。

Farid Belkahia la Rectitude de l’Être, 1989 Dye on skin
Courtesy of Foundation Farid Belkahia

作品la Rectitude de l’Être(1989)は、目の大きなラクダに見えるモチーフの胴体に当たる箇所とラクダを囲む円形の上に記号のようなモチーフが散りばめられています。

Farid Belkahia Trance, 1980 Dyes and organic material on wooden panel
Courtesy of Arab Museum of Modern Art, Doha

1950年代にFaik Hassan(Iraq, 1919-1992)とIsmail Al-Sheikhly(Iraq, 1924-2002)を筆頭にイラクの画家たちは前衛集団Pioneers Groupを発足。彼らは、写真におさめられることも油絵で描かれることもあまりなかった遊牧民ベドウィンの暮らしを描きました。

Faik Hassan The Tent, 1956 Oil on wood
Courtesy of The Jordan National Gallery of Fine Arts
Ismail Al-Sheikhly Watermelon Sellers, 1958 Oil on Canvas

エジプト南部に位置し黄金という意味を持つヌビア地方は古代からエジプトとは異なる独特な歴史や文化を培ってきました。エジプト出身の画家Seif Wanly(Erypt, 1906-1979)は、1950年代に政府の依頼でアスワン・ハイ・ダムの建設により失われるおそれのあるヌビア地方の人々の暮らしや風景を描きました。長きに渡りナイル川の洪水に悩まされてきたヌビアの人々は、ダムの建設とともにNew Nubiaと呼ばれる新しい地に村を構え暮らすこととなりました。ヌビア遺跡のアブ・シンベル神殿はこのダムの建設により水没するおそれがあったためユネスコの協力のもと安全なところへ移築されました。

SEIF WANLY Nubian Village, 1950s 
SEIF WANLY Nubi Village, 1960s 

1940年代前後からアカデミック美術を学んできた中東地域の作家たちは西洋的とは真反対の方向へと突き進みました。彼らは時にグループを発足し声明文を掲げ、伝統や原点を見つめ直すことを呼びかけました。この運動には砂漠が欠かせないテーマでした。しかし今回見てきたように、彼らが描こうとしたのは砂漠の風景ではなく、砂漠で暮らす人々の姿でした。ベドウィンをはじめとした砂漠で遊牧して暮らす人々はしばし政府が目指す西洋化やモダニズムと相反するとされ、目を向けられることがありませんでした。

前を目指すことばかりに焦ってしまう私たちも一度立ち止まり、後ろを振り返ることで新たな発見があるのかもしれません。

photo by John Fowler