コロナ渦の中、開催されるか一時は不安だったヨコハマトリエンナーレ2020が開幕。人が集中しやすい体験型作品は事前予約制にすることや、視聴時間が長い映像作品などの一部の作品をネットで公開すると言ったコロナ対策のもと無事閉幕しました。

期間限定で公開された映像作品の中で中東地域出身の作家アリア・ファリドによる作品がありましたがヨコハマトリエンナーレの公式サイトではそれらの作品の詳しい背景や解説を見つけることができず、20分近い作品を最後まで見て理解するにはとてもハードルが高い状態でした。

そこで今日は作品を見たけど良く分からなかったという方や、見ることはできなかったけど気になる方に向けて簡単な解説を書きます(こちらから2分弱の映像が見れます

ヨコハマトリエンナーレの公式サイトにある作家のプロフィールです。

アリア・ファリド
1985年、クウェート生まれ、クウェートとサン・フアン(プエルトリコ)を拠点に活動。
ファリドは、現代生活の水面下に織り込まれた様々な構造的課題を作品化する。近年は、自身の個人史について言及、1990年代初頭のイラクによるクウェート侵攻に起因する、家族のプエルトリコへの逃避にまつわる苦難と希望について作品を発表している。本展では、映像作品《引き潮のとき》を発表。2016年、サンパウロ・ビエンナーレ、2018年、光州ビエンナーレ、2019年、シャルジャ・ビエンナーレ(アラブ首長国連邦)、2020年、ラホール・ビエンナーレ(パキスタン)に参加。2019年、ポルティクス(ドイツ)、2020年、ヴィット・デ・ヴィッド(オランダ)で個展を開催。

今回ヨコハマトリエンナーレ2020で公開された映像作品《引き潮のとき》は、もともと2019年に開催されたSharjah Biennial 14のコミッションで作られた作品でした。

Sharjah Biennial 14では、エコーチェンバー現象がキーワードでした。
インターネットの普及により情報が世界中の情報が溢れかえる現代社会だが一方でSNSの中で同じ意見を持った人たちだけが集まってしまい反対意見を見聞きする機会が失われてしまっているのも現状です。

私の周りではみんなこういう意見なのに発表される世論調査は真反対だ!みたいな経験ありませんか?

まさにそれがエコーチェンバー現象なのです。

Sharjah Biennial 14では参加アーティストたちはエコーチェンバー現象で見えなくなっている、もしくはある政治的や経済的な目的のために架空に作られている概念や価値観に疑問符を投げかけ、異なる視点を見出す作品を発表しました。

さて、今回の本題であるアリア・ファリドの映像作品《引き潮のとき》はイラン南部のホルムズ海峡に浮かぶゲシュム島で撮影されました。
ゲシュム島の60km南にはオマーンのホサブ港、180km南にはアラブ首長国連邦(UAE)のラシッド港があります。
世界の石油供給の2割がホルムズ海峡経由であることから度々ニュースでも取り上げられる場所に位置した10万人が暮らすゲシュム島はその緊迫した立地とは裏腹に自然豊かで古くからの伝統が今なお息づく島なのです。

アリア・ファリドの作品は漁業が主な産業であるこの島で昔から大切にされてきた「漁師の新年」の様子を捉えています。

イラン本土とは異なる土着文化が受け継がれてきたゲシュム島は、地政学的にセンシティブな状況にある中でもその土地に脈々と息づく儀式が守られています。作家は、ビエンナーレの舞台であるUAEから地理的には近くても政治的には遠い存在のゲシュム島の伝統に着目することで、ホルモズ海峡を筆頭に中東地域が抱える緊迫する政治的側面ではなく、湾岸地域に根付く伝統の類似点を考えるよう見る者を誘います。


あとがき
当たり前ですがSharjah Biennial 14のコミッションで作られたアリア・ファリドの映像作品《引き潮のとき》をキーワードであるエコーチェンバー現象の文脈で読み解くことはすんなり腑に落ちるのですが、ヨコハマトリエンナーレ2020のコンセプトの文脈ではどのように読み解いたらいいのか?やはりオンラインで一部の作品を見るのはオフラインの理解には程遠いということなのでしょうか?

ヨコハマトリエンナーレ2020のコンセプト抜粋
展覧会とはミリュー(環境)であり、感情とコンセプトが濃密に詰まった茂み、(中略)常に制作中で静まることがありません。穴が穿たれていて、歴史の吹きだまりや病変にも開かれています。人間の手を逃れ、超人間(エクストラ・ヒューマン)的な存在を生み出すこともあります。
残光(アフターグロウ)は、光の明るみの後、しかし暗くなる前にやってきます。それは光のインターバルであり(中略)、また、存在の茂みと生成のエピソードの間にある間質性のエネルギーです。どこかで生物発光する相互関係が、海の底の生命の存在を示します。また別のところでは、友情の発光が、ケアの輝きが、あるいは独学者の目に輝く直観がそれを行うのです。

コロナによるニューノーマルでアートイベンの形式が徐々に変化しています。この変化の中でどのようにキュレーションが変わっていくのかとても大切な課題だと改めて思いました。

ヨコハマトリエンナーレ2020バーチャルツアーhttps://www.yokohamatriennale.jp/2020/news/tour/