4. AI時代と中東現代アート
―声は拡張されるのか、消えていくのか
そしていま、もう一つ無視できない変化があります。
AIやデジタル技術の存在です。
誰もが簡単にイメージを生成できるようになった時代。
中東的なモチーフやビジュアルも、文脈から切り離されたまま流通し、消費されていくことが増えてきました。
それは一見、表現が開かれていくようにも見えます。
でも同時に、どこかで引っかかる感覚もある。
それは、「これは誰の声なのか」という問いです。
イラン出身のMorehshin Allahyariは、テクノロジーを使って、失われた記憶や文化に向き合う作品を制作しています。
たとえば、ISISによって破壊された中東の文化遺産を、3Dデータとして再構築するプロジェクト。
単に形を復元するのではなく、その中に歴史的背景や物語、資料を埋め込み、デジタル上に「記憶」を残していく試みです。
失われたものを、別のかたちで持ち運ぶ。
物理的には消えてしまったものに、もう一度触れることができるようにする。
それはテクノロジーによる“再生”のようにも見えるし、
同時に、まったく新しい記憶を作り出しているようにも見える。
ここで、ふと立ち止まってしまうのです。
それは本当に「取り戻した」と言えるのだろうか。
それとも、失われたものの“代わり”を作っているだけなのだろうか。
AIやデジタル技術は、確かに声を拡張する力を持っています。
距離を越えて、時間を越えて、記憶を共有することもできる。
でもその一方で、
「どこから語られているのか」が見えにくくなる瞬間もある。
ディアスポラとして外にいる私自身も、
その曖昧さの中にいる気がします。
外から語ること。
内側を想像すること。
記憶を引き寄せること。
そのすべてが、どこかで“再構成”になってしまう可能性を含んでいる。
だからこそ、これからの時代において大切になるのは、
どれだけリアルに見えるかではなく、
どこから語られているのかを問い続けることなのかもしれません。
アートが記憶を残すのだとしたら、
その記憶は、誰のものなのか。
そして私たちは、それをどこまで自分のものとして受け取っているのか。
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