中東の現代アートを紹介するという名目で始めた「アートな中東」。

でも振り返ってみると、それは外に向けた発信であると同時に、とても内面的な、自分自身との対話でもあったのだと思います。

私は何者なのか。

何ができるのか。

どうしたら、もう一人のイラン人である私、中東にルーツを持つ私に、きちんと向き合えるのか。

それは、ディアスポラとしてのジレンマであり、同時に責任のようなものでもあった気がします。

「アートな中東」を始めてから15年。

今、私は初めて、本当の意味で“紛争”というものを体感しています。

戦争が始まったイランには、子どもの頃に私を大切にしてくれた叔父や叔母、そして多くの親族が今も暮らしています。

政府からの圧力、そして空から降ってくるミサイル。

その現実の中で、彼らは日々、恐怖と向き合っています。

けれど、その感情は決して一色ではない。

恐怖の中にも、諦めきれない希望があり、怒りの中にも、静かな祈りがある。

外からは見えにくい、いくつもの色が重なり合っている。

そんなとき、私は改めて思うのです。

アートは「理解する」ものではなく、「感じる」ものなのだと。

その場に置かれたアーティストの表現に触れたとき、

言葉では説明できない感情の重なりが、ふとこちらに流れ込んでくる瞬間がある。

ほんの少しでも、その複雑な色合いに触れることができる。

当事者の声に、ほんの少しだけ近づくことができる。


最後に。

私にとって最初の読者であり、きっと今もどこかで見守ってくれている、麻田豊先生へ。

「アートな中東」を考えるとき、いつも先生の存在があります。

心からの感謝を込めて。